2025
Vol.1
小西政秀の眼で見た日本近代絵画の歴史
1月30日 - 2月9日
【開館日】
会期中の木・金・土・日曜日
【開催時間】
10:00 - 17:00(最終入館16:30)
【出陳作家】
浅井忠 Cyuu ASAI
岡田三郎助 Saburousuke OKADA
宮本三郎 Saburou MIYAMOTO ほか
宮本三郎「フィリピンの街角」
ベン・シャーン「伝導の書」
小西政秀の眼で見た日本近代絵画の歴史
HOKUBU記念絵画館
長田謙一氏が指摘しているように「美術館は、美術あるいは美術史が新たに何であるのかということを不断に問い直す場を提供することにおいてこそ存在意義を持つ」のだと思います。今回、私は「美術史とは何か」について日本の木版画と洋画に基づいて、その本質を解明しようと企てました。とくに「芸術のための芸術」の理論が崩壊してから、美術の進歩についての我々の誤った考えを訂正するような動きが活発になっています。
この本を見た人たちは、西洋の近代美術を思い浮かべつつ、それとの比較において、ある種の違和感を抱くかもしれません。しかし、それは正常です。日本の近代は西洋からの受容と折衷の歴史ですが、その反動的な排除の中に日本的な本質が形成されたからです。それは遠近法だとか、陰影法だとかとは無関係の絵を描くことの根本的な行為であり、このことにより絵画はすこぶる本質的になったと思います。
もちろん社会的な立場、世界的な立場に立つことで、その時その状況においてどのような問題が存在したかが見えてくるものもあります。それは世界が日本を、また社会が美術を内に包んでいることを自覚して、外部から歴史を客感的にみるということです。かつて日本は中国を意識して文化政策を行い、近代になってからは西洋の前に屈して、衣食住から礼儀作法まで吸収してきました。振り返ってみると日本の美術は外部との関係によって見出されます。
もちろん外からの視点だけでなく、内からの視点も必要です。ただ固有性の自覚は、独自のものを作った意識でなくてはなりません。例えば茶の湯が完成され華道が生まれた室町から江戸までは、美術の発展が純粋に内在的で、美術というものが歴史を作った時代でした。固有とはそういう歴史を深めた自己意識により成立するものです。
ともあれ、日本の近代を木版画と油絵の比較により紹介します。それは従来の定説に風穴を開ける試みです。できるだけ簡明にとは思いますが、まどろっこしく感じることもあるかもしれません。あしからずご了承ください。