版画家とコレクターに捧ぐ

北武グループには、ビジネスには直結しない、文化的な方面に力を入れている事業がある。札幌市豊平区旭町にあるHOKUBU記念絵画館だ。地下鉄学園前駅から徒歩六〜八分で着く。この絵画館は、1996(平成8)年から運営しているのだという。いうまでもなく採算性のない事業である。これを地域社会への貢献とみるべきなのか、芸術文化の振興とみるべきなのか。小西政秀は会社の役員に頭を下げて承諾を得たのだという。

オーナーは、やや変わり者との風説もある。しかし、彼は社会とのズレで、自らの評判を損なうタイプではない。奇人というには実際的で、変人にしては抜け目が無い。ともすると、並んでいる人たちを押しのけてでもタクシーに乗る確信的なタイプだ。世間から後ろ指を指されるような場合でも、ある程度計算して、それを実行する主義なのである。

一部のマニアの間では、彼は詩人としても知られるが、このオーナーが、唯一、害のない趣味を、優れた美術品を他者と分かち合うという意により、公にすることに踏み切ったという見方が、おそらく本当のところかもしれない。

「人生は大いなる自己満足」と自らに言い聞かせ、既存のビルにつぎ足す形で設計がなされた。絵画館が完成した折には「これなら、まあ、恥ずかしくないだろう」と呟いたという。そこには、彼の野心が、会社を犠牲にする類ではなかったということがうかがえる。あまりにも健康的で、耳にこだまする音量のポエムには、いつも大汗をかかされる社員も、この控え目な絵画館には、ある種の安堵を見出したのだろう。人情は厚いが、やや率直に、引き締まった感想をもらす幹部も、そこを「聖域」と呼ぶのであった。

コレクションは油絵・版画・水彩など五千点以上に及ぶ。特に木版画はその歴史的な変遷を辿る質と量を有している。浮世絵では、歌麿や歌川派の絵師たち、創作版画と呼ばれる昭和の版画黄金期を支えた作家には、棟方志功や斉藤清など、また、現代版画の旗手として、国際展での活躍が目覚ましい萩原英雄や黒崎彰など、代表的な木版画家を網羅している。

さて、この絵画館、西洋式の柱と、ステンドグラスが、正面にそびえる、地上三階建てなのだが、足を踏み入れると、室内は、その外観以上に広く、奥行きがある。受付で半券を貰い、風除室を抜け、スリッパに履き替える。これは、他の美術館とは一風異なる、この絵画館ならではの光景である。中に入ると、随分と静かだ。スリッパで、絨毯の上をペタペタ歩く音だけが響く。この折は加藤八洲の展覧会を開催中であった。

加藤八洲は1907(明治40)年東京に生まれた。京都工芸繊維大学でデザインを学び、社会人となって、日本画と、イラスト画を習った。画家を目指して、東京に舞い戻ってから平塚運一らに出会い、木版画家として再出発をした。版画が芸術のジャンルとして浸透していった時代、彼は制約の多い技法の中で、簡略的な造形に目を向け、そこに魅力を見出すと同時に、写すという基本的な要素も追求していった。対象の把握と、イメージヘの回帰が繰り返される画風は、リアリズムを基本に和と洋の型を注ぎ込んだもので、八洲の名のとおり、彼は発意に身を委ね、その変化を自由に楽しんだ。

最も彼が親しんだ題材は、人里離れた教会や古い町並みだ。重厚な石畳や、水面の小波は、スケッチから下絵を起こす際を大切にしたという、この時期の彼が、生の感動を消化し、再構成することが出来たということを物語っている。

やがて、古典的な構図を崩すようになった彼は、ざらりとした、マチエールを重視した表現を好むようになる。そしてディテールを削ぎ落とし、表現する内容を突き詰めた彼の作品は、アスファルトを押しのけて咲く蒲公英のように強いメッセージを持ち始める。工場から吐き出される煙が、流される幸福の形が変化した時代、彼の魂は、どこまでも高い空を求めて世界へと飛び立った。その空に向かって、まっすぐに伸びる単純な美しさ。それは、彼が発見した自然と人間の本来の姿たった。「YASU KATO」という、横文字にすると端正なイニシャルは、彼が我々に向けたサインでもある。

このコレクションは企業家・小西政秀が、少年の頃の、ふとしたきっかけで絵に興味を覚え、サラリーマン時代は財布をはたいて、やがて経営者となってからは、それを心のよりどころとして、コツコツと三十年以上かけて集めたものである。もとより、自らの満足のために始めたコレクションであり、自分の眼で選んだものばかりだというが、眼とは、ある一定の見解であり、視点であり、着眼するポイントのことだ。その上で、彼は感性という言葉を主張する。確かに、原精一や、小野末、香月泰男など、価格という、骨の髄まで染み込んだ彼の感性を多めに見積もってみても、そこには、ある一定の性格が認められるのだ。

彼が愛するのは、生まれ故郷の樺太の、深い緑のような、たくましい造形であり、それは、加藤八洲という作家にも見られる共通の部分でもある。そして、それは、ロマンチックを越えて、胸の奥に響くような、骨太の気質であるのだが・・・しかし、筆者は、あくまで、芸術の分野においては門外漢であるから、聞きかじりで、文学的な情熱を沸騰させることのないよう、慎まねばならない。現実を知り、真実を捉え、なおも力強く生きてきたコレクターも、コレクションも、風土により育まれてきたものなのかもしれない。

(寄稿:M・K)

 

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